2014-05-03 のブログのリライトです。
今日は授業中ガミガミ怒っていた私がどのようにして怒らなくなったかを書こうと思います。
一昨年の私は、本当にガミガミ授業中に怒っていました。
自分で叱ってるのか、怒ってるのか分からないくらいでした。
授業を進めるにも関係ない生徒が乱入してくる。
授業中、ずっとおしゃべりしていて話を聞かない。
話を聞かないから指示が通らない。
何度も繰り返し同じ事を言わないといけない。
授業中に隠れてPSP(※プレイステーションポータブル ゲーム端末)をする。
ガム、アメは当たり前。
そんな毎日でした。
それに対して何度も大きな声を出して、時には乱暴な言葉遣いをして怒る私。
怒るというか憤ってました。
もちろん穏やかに進められる日もありましたし、頑張る生徒を励ましたり、解らない生徒に一つ一つ教えたり、時間外に質問教室を開いたりもしていました。
でも、本当によく怒鳴っていたんです。
今も昔も生徒にも自分にも正直であることがモットーなので、ある日たまりかねて、
「このクラスだけ、どうしても私の話を聞いている気がしないし、怒りたくないのに怒ってしまう。ごめんね。」
と言うとある生徒が
「他のクラスではそうでないのに、このクラスだけってことは、先生じゃなくて俺らが悪いと思うよ」
と言ってくれました。
もうね、そんなことを生徒に言わせるなんていけませんよね…。
猛烈に反省しました。
で、去年の私。
ほとんど怒っていません。
今年もまだ怒ってません。
いや、腹の立つこともあるんですよ。
学校全体が少しずつ落ち着いてきたというのもあるんですが、年度始めに掘り下げて考えたんです。
そもそも、「怒り」を感じる時に、全ての人に共通する根源的なエピソードがあります。
それは、「自分のことをないがしろにされた」というエピソードです。
人は誰でも自分に対して扱われる基準をある程度、無意識に持っています。
でも、相手の態度や言葉がその基準に達していないとき、人はないがしろにされたと感じて怒りがわき起ります。
私は一昨年ずっと、生徒に向かって私をもっと丁重に扱って!!と要求し続けていたんですね。
だから、考えました。
私の学校での目標は
です。
そのために私ができることは、根気よく励ますこと、わかり易く教えること、共感すること。
そこに怒りは必要か?
否。
私への丁重な扱いは要求すべきか?
否。
私は教えるために教壇に立っているのだから、私が丁寧に扱われるかどうかにこだわることは意味が無いんです。
その事に気づいてからはもう、ほとんど怒ってません。
もちろん失礼なことをしてきたら、わかり易く丁寧に「失礼だよ」と伝えます。
時には「もう数学諦めるわ」という子もいます。
そういう子には「どうしてそういう風に思うのか?」「どんな人生を送りたいのか?」「出来る力を十分にもっているから言うんだよ」ということを話したり聞いたりしながら励まします。
彼らは中学生です。
社会に出る前の3年間たくさん失敗して、たくさん学ぶために中学校にきています。
だから、彼らを受け入れて教え、導くのが私の仕事なんです。
怒りに負けそうになったら、
これをすると、次に何をすればいいのかわかります。
人は自分で怒ることを選択しています。
感情は沸き起こるのではなく、自分で選択して感じているのです。
でもね、どうしても堪えられないときはわー!っとなってもいいんですよ。
その後、ゆっくり考えましょう。
その感情の選択は、あなたの歴史がおおいに関係しています。
穏やかに授業をし、訳の分からない生徒の行動を笑いに変え、ひたすら励まし、何度も同じ事を教えるようになってから、
自ら頑張る生徒が増えました。
授業が楽しくなりました。
私が怒ることで怖い思いをする生徒が居なくなりました。(誰かが怒られていることで恐怖を感じる善良な生徒もいるんです。)
気が散りやすくなかなか集中できない生徒。
気分の浮き沈みが激しく落ち着かない生徒。
耳からの情報の取得が難しく1度の説明では解らない生徒。
自尊心がなくすぐに諦めてしまう生徒。
周りに流されやすくおしゃべりを止められない生徒。
自分の決めた量をとことんやる生徒。
授業も家庭学習も真面目にやるのに要領が悪くなかなか成績が上がらない生徒。
要領良すぎて理解が早いために提出物を全く出さず成績を落とす生徒。
本当にいろいろいます(^_^;)
でも、みんなかわいいんですよ。
子どもと大人への変化の狭間でアンバランスな思春期真っ只中の生徒たちは本当に日々私を成長させてくれます。
不満や愚痴はたーーーーくさんあるんですが、聞いてくれる仲間もいます。(いつもありがとう!感謝)
本当に毎日楽しいです!