【女のいない男たち】
これは完全に独りよがりな話なんだけれど、私は何をしていても、相手のニーズはなんだろう?とそれを考え、なんとなく汲み取った気になって、それを指針として、その後の自分の態度を変える。
相手にいかに自然に合わせて、でもその合わせている自分を極力悟られないように気をつけて、合わせた上でその相手のニーズに合った自分を出す。
いわゆるペルソナがものすごく細かくあるんではないかと思っている。
ただ、唯一の欠点はそれを確かめることをしてこなかったので、本当はだだ漏れかもしれないこと。
相手にもバレバレで、それはもう独りよがりも甚だしいひどく恥ずかしいものになっているかもしれないこと。
(これは未だに確認したことがないのでわからない。真実に気づいてしまったら、羞恥心で死んでしまうかもしれない。たぶんないけど。)
さて、親愛なるワーママはるさんがとても好きだという村上春樹さんが、私は苦手だ。
だけど、はるさんつながりでアンテナが立ってしまったからまず、映画を見に行った。
「ドライブ・マイ・カー」
よかった。
村上春樹さんがよかったというよりは、監督の作品としてよかった。
中山千里さんが「有隣堂しか知らない世界」の中で「海堂尊先生が映画は孫みたいなもんだよ」って言ってたのがたぶんよくわかったと思う。
で、原作である「ドライブ・マイ・カー」も読んでみた。(映画とは全然違う)
なるほど。
わかった…気がした。
今までの生き方、本への向かい方と全然違ったから苦手だったんた。
(この辺のことは10/31の きえはる心理学ラジオ をきいてもらうとよりわかるかも)
自分から合わせようとするジャンルの本?文書?テキスト?ではなかった。
合わせちゃいけないんだ。
読んでみて、はるさんが言ってた「村上春樹さんの書く物語は〇〇なんです」って言ってたのがちょっとわかった。(これはラジオ聞いてね)
そして、私が相手のニーズに自分を合わせることを第一義的に優先してきたから苦手だったこともわかった。(はるさんが合わせてないとはいってない)
私が「『女のいない男たち』(ドライブ・マイ・カーが収録されている原作短編集)読んでるよ」と言ったらはるさんに「(久しぶりに)読んでみてどうですか?」と聞かれた。
私は「今、一生懸命チューニングしてる」って答えたんだけど、これがまさにそれだ。
結局、私の意識の先には自分しかいなくて、相手を利用して自分を見ようとしている。
そういう独りよがりで傲慢な人間だとわかった。いや、わかってたけど、明示された。
ただ、それが悪いというわけでもない。
ニーズを拾うのがそこそこ性分になっているからこそ、仕事が成り立っているとも言えるからだ。
色々経験してみるもんだな。
#kiebooks