ふと思ったことですが、
発達障害の人のことを「環境に適応しにくい」と言ったりすることがあります。
(説明するとわかりにくいからまるっとまとめますが)
確かに、発達障害の方(といってもグラデーションなのでその強弱はありますが)は、
「こう」と思ってしまうとなかなか他の選択肢が入りにくいというところはあります。
が、どうなんでしょう?
これね、発達障害者と定型発達者とあえて二分するとして、
その相対的な数が発達障害者が少なくて、定型発達者が多いから
「融通がきかない」とか
「状況の変化に対応できない」とかって言われますけど、
もし、相対的な数が逆だったらどうなんでしょう?
「定型発達者はすぐに予定をころころ変えて困る」とかって言われることになるんじゃないですかねぇ?
そう思ったら、
その発達が障害があるとか定形だとかそういうの関係なく、
困ってる人が
「ちょっと困っちゃった。助けて。」
って気軽に言えて
「ごめんちょっと忙しいけぇ、ここだけでもいい?」とか
「〇〇時までならいいよ~。」とか
そういうのが言える環境とか雰囲気が大事なんじゃないかって思います。
それに、定形発達者がそんなに環境適応能力が高いんだったらね、
発達障害者のそういう適応が難しいとか、見通しが立たないと動けないとか、
そういうところにそろそろ慣れてもいいじゃないか?
問題はそこじゃなく、そういうもんなんだから、
「じゃあ、どうするの」ってところを建設的に考えようよ!
って思ったりします。
それには、やっぱり子育てする上で大切なのは、
人を大切にできることと、それと同じくらい自分も大切にできることかな~、って思ったりします。
(猫ちゃんはこんなんでも、愛されるしな~)
「困ってたら言ってね」
と
「困ったけぇ、助けて~。教えて~。」を
言える自分でありたいな、って思いました。
確かに、「融通きかなくて困る」
そうかもしれないけど、
その人の資質とか、性格とかに原因を帰属させるんじゃなくて、
仕組みでなんとかできることもあるんだから、もうちょっと考えられるくらい余裕があったらいいな~。
と思ったり。
余裕がないくらいなんだったら、
そういう「仕組を考える」そのことが仕事になるな~って思ったり。
きっと、みなさん自分のことで精一杯で、
「もう 困らせないでくれよ!」
「仕事増やさないでくれよ!」
って言いたいくらい余裕がないんでしょうね…。
だから、ちょっとでも自分の手を煩わされることがあるとお荷物扱いしちゃう。
大人でも子どもでもそんな感じですね。
今日のはただの呟きです。
まとめ
子どもにも「相談」してみるといいと思います。
子どもには子どもなりの考えとかあって、なかなかいい意見をくれたりします。
また、親が相談することで子どもに
「大人も悩んだりするんだ~。」
「悩んだら相談するんだ~。」
ということがわかったりしていいかな~って思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。