【子どもに勉強を教える】
と
【子どもと勉強する】
を
実は使い分けていることに気づいた。
【子どもと勉強する】が結構モチベートに使えて、ここをもうちょい研究したい。
例えば、
「わからないところがある」
だったら、
【子どもに勉強を教える】
から始める。
で、途中から【子どもと一緒に勉強する】に切り替える。
もし、
「基礎計算力伸ばそう(←本人にはない大人側のニーズ)」
だったら
【子どもと一緒に勉強する】
から始めるのががいいかな、って思う。
例えば100マス計算は、一緒にやって記録もつける。
子どもに合わせたりしない。
自分の記録を更新することに専念する。
(↑私の100マス計算の記録)
【子どもと一緒に勉強する】を選ぶと、子どもの温度が、ふっと同じになる感じがする。
同じ人間としてそこにいる感じ。
「なんでそんなに速いんだ!?」
って聞かれたら、
「慣れてるから」って答えてる。
励ましとかしない。
「これは技術とかテクニックとかいらない。単に慣れてると覚えて思い出すのがうまくなるだけ」
って答える。
【子どもに勉強を教える】は、ちょっとテクニックがいる。
子どもの中にある言葉と文化と表現を使って説明しないといけないから。
小学生のうちは特に、【子どもと一緒に勉強する】がやりやすいと思う。
思考力≪反復練習 の課題が多いから大人も一緒にドリルやったり、漢字書いたり、100マスしたらいいと思うよ。
英語とかでも、一緒に覚えてバトルするとなかなか楽しい。
ハンデはつけたりするけど、単語とか小テストを一緒にやって丸つけして、ってのを何回戦かやると結構盛り上がる!
で、こういうの家でやるの大変じゃないですか??
ここまで書いといて申し訳ないけど。
私は家って勉強するところじゃないと思うから、勉強は場所を分けたほうがいいと思ってて、
だからこそ、余計にそういう場所なりなんなりを見つけるのがいいと思ってます。
だけど、もし、お家でやるんだったら、場所を変えたほうがいいかなー。
親子でカフェに出かけて勉強タイムとかはステキかもしれんし。
ちなみにうちの息子は『私の教室で勉強、家では遊ぶ』が一番はかどると言ってます。
今日も読んでいただきありがとうございます。