6年生までは
「出された宿題をやる」
これが学校で課せられる勉強でした。
でも、中学生になって、それを続けていると
(※再生:心理学の言葉で自分で思い出し同じものを出力すること。見て、合っているかどうかを確かめるのは再認。)
ということが起きます。
ひらがなもカタカナも、四則計算も、毎日毎日使っているから、自由に出したり工夫したりできますよね。
だけれども、英語も小学校高学年に習う割合も古文も漢文も歴史も地理も公民も生物も化学も地学も物理も、生活の中で使う機会は自然にはなかなか起きません。
(いや、たくさんあるんですよ。そういうの全部がこの社会に生きてるんだから。なんですが、自分で答え出さないでも答えを誰かが出してくれてて、それを享受しているんですよね。隠れてて見えないとか、自分の理解が低くてわからないだけで。そういうこと本当に大人になっても世界のほとんどそう。で、その仕組みはわかってないのです。スマホの仕組みが分かってなくても使える。包丁の素材はわからなくても料理は作れる。とりあえずね。)
生活の中で「わざわざ使う機会作る必要」があるのです。
例えば
などなど
中学生になるとその情報量はもっと増え、さらに速度も増すので、ますます「わざわざ機会を作る必要」はあるのに、その時間がない。
ということになりがちです。
さらに、その「わざわざ使う機会を作る必要」を誰が、どこに、どのように、どのくらい作るのか?ということが大切です。
特に、数学と英語は手を使って紙に書く必要がありますし、量もこなしていかないと定着は難しいです。
わかったからできるというものではなく、
これを繰り返す必要があります。
数学なんかはやっぱり基礎体力となる四則計算は頭の中だけでは限界ありますしね。
英単語も、読みと意味はなんとかなっても綴りを書くのは難しいでしょう。
というわけで、どうしても机に向かっての練習時間が必要になります。
そのためには、中学校からの勉強は小学校と違うよということをわかる、思考の転換が必要ですねぇ。
今日も読んでいただきありがとうございます。