子どもが何か得意なこととか集中できることがあったときについ言ってしまう一言…。
「○○(職業の名前)になれたらいいね~」
無いです?そういうこと。
私は以前はつい言ってしまったり、進路に結びつけようとしてましたが
今日、
「やめよう!」 と心に強く誓いました。
なぜかというと本が届いたからです。
その本とは、こちら。
私、中3のとき突然
「カウンセラーになりたい!」って思ったんです。
理由はありません。
突然、降って湧いたんです。
それで、大学を選び教員免許を取って、大学院に進み、カウンセリングルームで働き始めました。
私、学校が好きなんです。
今でも、中学・高校時代の夢をみるくらい。
ドラマやマンガは学園モノが好きです。
(ここ2年位で見て面白かったのは、「学校のカイダン」と「表参道高校合唱部」)
だから、大学生の時は、「スクールカウンセラーになろう!」って思っていました。
で、その時頭に浮かんでいたイメージがこの「まんが日本の歴史」です。
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マンガ日本の歴史とか私の好きな本とかマンガがずらーっと並んでて、生徒が自由に来て寛いでる。
いつでも生徒が出入り自由で、おしゃべりして帰っていく。
そんな部屋をイメージしていました。
(ドラマ「明日の約束」の日向先生の部屋に近いですね)
そして、今日。
この届いた「まんが日本の歴史」をみて思ったんです。
私が思い描いていた夢は「スクールカウンセラー」という仕事名じゃなくて、こっちの「自由にくつろげる」っていうイメージの方だー
仕事の名前なんて「スクールカウンセラー」だろうが「家庭教師」だろうが「近所のおばちゃん」だろうが何でもよかった。
それよりも、子どもたちが自由に来てくつろいで喋ったり勉強したり、そんな風に過ごしながら、時々深刻な話をしたり、そこでちょっとお茶とかお菓子が食べられたり…。
そういうイメージそのものが私にとって夢だったということに気づきました。
そして、それを過去にやってきた仕事でやっていました。
フリースクールでもそうですし、講師のときも少しそういう部分がありました。
いつの間にか叶ってたんですね、
私の夢。
そうしてみると「スクールカウンセラー」という仕事がまた違って見えました。
夢としてその仕事につくよりも、頭の中に浮かんだイメージを1つ1つ実現していくことのほうが、もしかしたら、充実度や幸福度は高いのかもしれません。
もし、子どもが何か好きなものがあって、それに大人が勝手に「仕事」と結びつけてしまったら、
子どもは自分の中のイメージよりも、その仕事や職業のあるべき姿を取り入れるのかもしれないな~と思いました。
だから、アメリカやカナダのキャリア教育なんかは(フリースクール時代に上司が教えてくれました)
と言ったイメージをどんどん聞いていくのかもしれません。
となると、やっぱり大切なのは職業名ではなく、イメージですね。
それとは反対に、子どもが何か夢を語ったとき
「あんたには向いとらんよ」とか
「その仕事がやりたいんじゃったら○○くらいはできんとね」とか、子どもの夢(自分も)向き不向きを夢に挟み込むのやめませんか?
夢はイメージです。
適正は二の次だと思います。
向き不向きよりも、やりたいかやりたくないかのほうが何千倍も大切。
あなたが夢を諦めたことを肯定するために、子どもの夢をけなすのはやめてください。
それに、夢が変わるのは挫折ではありません。
「もうやめたん」とか
「もう変えたん」とか、やめてください。
世の中に変化しないものなどありません。
「そうなんじゃね~」でいいじゃないですか。
そういうあなたの夢、何ですか?
まとめ
20歳のとき、ネパールでトレッキングしたら現地のネパール人に
「トレッキングの才能がある」とガイドの仕事しろと誘われましたが、興味ないし山登り好きじゃないからやってません。
才能があるのとやりたいのは全然別です。
私は多分、カウンセラーの才能は無いです。
だけど、好きだからやってます。
そういうもんです。
今日も読んでいただきありがとうございます。