子どもに言うことをきかせたいとき、責任を負いすぎてませんか??
自分の子育てのせいで
などなど…。
確かに、その可能性は0ではないでしょう。
特に小さければ小さいほど、親の影響力は大きいです。
そして、子どもが何かやってしまった、たとえば人に迷惑をかけた、社会的に良くないことをしてしまった、そんなとき確かに未成年であれば親が責任を取ります。
でも、育て方って意識しているものですよね。
それよりもっと影響力があるとすればコミュニケーションパターンの方が大きいと思います。
それは案外意識していないので、気づかないかもしれませんが。
なので、見直すべきは
の方です。
例えば、何か意に反することをしたら
ああ、あなたはそうやってお母さんを困らせる子なのね
と言ったり、
言うことを聞かせたい時には相手が反論できないくらい怒り狂ったり、
なにかにつけて
そんなこともわからんの
と言ったり、
子どもが自分からなにかしようとするたびに
どうせ失敗するんじゃけぇ、貸してごらん。
と言ったり、なぜか具合が悪くなったり、
そういうコミュニケーションパターンです。
自分のクセ、気づいてますか?
そもそも、子どもの人格や性格は行動とは関係ないし
(本当にここをくっつけて考えている人が多い。悪いことをしてしまったら、行動を正せばいい。ダメな人間になったわけじゃない。人格と行動は別物)
ましてや、親の責任ってなんだろう?
責任のとり方を教える方が大切ではないかと思います。
だって、ものすごい借金を作ったとしても、人を殺めたとしても、それは自己破産とか刑罰という責任のとり方をすればいいんだから、法律がさばいてくれることだから、親は気に病むかもしれないけど、責任のとり方は決まっているわけです。
日本の社会では。
非難はされるけどね。
つまりは非難されたくないってことか⁈
私は、自分で自分のやったことへの責任の取り方を教える方が、
失敗させないようにすることよりもよっぽどか役に立つかと思います。
だから、子どもに言うことをきかせることってそんなに大切なのかな、って思います。
もし、自分自身が迷惑をこうむっていたら、
私はとても迷惑で本当に悲しい
と伝える必要があると思います。
私はそうするようにしています。
授業でも、うるさくて話を聞いてもらえないとき
静かにしなさい
って言うんじゃなくて
私が話をしている時に、話を聞いてもらえないのは本当に悲しい
と伝えるようになりました。
これをI(アイ)メッセージといいます。
それよりもっと危機的なのは
子どもを操ることに対して操れると信じている場合。
これはちょっとやばいなって思います。
と信じている人がいるとしたら、その常識を疑ったほうがもうちょっと生きやすくなるだろうし、
すでにその信念によって子どもに対して迷惑をかけているんじゃないかと思います。
そうじゃなかったら、とりあえず自分を良しとしてあげませんか??
たしかにベリーグッド(最高に良い)な子育てじゃないかもしれない。
でも、きっと「言うことを聞かせようとしている自分」を感じながら、もっといい方法がないか探りながらやっているその子育ては
グッドイナフ(まあ、十分良い)ではあります。
一番ヤバいのは、自分がやっていることを信じて疑わないこと。
疑ったんなら、模索してるからOk。
とりあえず、変えたいならいつもと違うパターンを試してみるのがいいですよ。
まとめ
子育てに真剣に向き合っているからこその悩み。
それって、「悩む」ほど真剣、ってことですよね。
今日も読んでいただきありがとうございます。