今日の内容を一言でまとめると
相談で本当に必要なのは
解決策ではない。
共感、もっというならそこに存在して話に集中して相槌を打つことである。
です。
お母さん、聞いて。
今日ね、学校でね何にもしてないのに
じゃま!!って突き飛ばされたんよ。
こんな風に子どもさんが言ってきたら
あなたは、なんと返しますか⁇
私は、よく
そうなんじゃー。
それは、嫌じゃったね。
なんでそうなったん?
って聞いてしまいます。
(心の中は「なんですとー!?
いったいどこの誰?!」ですが)
誰かが
私っていつも〇〇してしまう。
なんで、こうなんだろう。
って呟いていたら
もしかしたら、こういう視点で見てみるといいかもしれない。
こういうのはどう?
って言ってしまう。
そう。
お節介なんです。
相手は、「聞いて」って言ってるし、
呟きはただの呟きだし、
特に何も求められていないのに、
なぜか、私はそれに対して
何かいい解決方法を見つけてあげなくちゃ!!
と躍起になってしまう…。
お節介というか、自己顕示欲を満たしたいだけなのかな、って思います。
昨日、友達と話していて
薄々気づいていたけど、
やっぱりそうだったかぁ〜
って思いました。
友達は傷ついていたから、
ただそこだけ寄り添えばよかったんですよね。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
なのに、
「相談」とか
「どうしたらいいんかね…」
いうことばに即座に反応して
解決策を見つけちゃうぞ!!って張り切ってしまう、
私の浅はかさ…。
子どもにも友達にも自分で解決する力はあるし
大抵の解決策はすでに考えていて、
それでも聞いてくるってことは
こういうことの方が大きいよな、と。
子どもだってそうなんですよね。
悩むってことは
悩むほど傷ついている
ってことで
そこに必要なのは実用的な解決策ではなくて
温かいつながりなんだと思います。
そうしたら、
〇〇だったー。
悲しいよー。
には
じゃあ、こうしてごらん
より
それは、悲しいねぇ。
おいで、よしよし。
を求めているし
そこでそれを十分にやれば
その子は自分で考えている解決策で十分外で戦ってこれるんですね。
親だから、子どもよりしっかりしなくっちゃ!!
とか
いい解決策を呈示して、子どもが問題をクリアできるように手伝わないと!!
とか
思う必要ないんですよね。
すごく当たり前なことですが
相談 ≠ 解決策の呈示
なんですね。
親は、子どもの完全な味方でそこに居る、ということが大切なんだと
強く感じた出来事でした。
私はちょっと気を抜くと、人の話を取ってしまうところがあるので
(忘れちゃうから早くいいたい)
本当に気をつけようと思いました。
子どもの話を聞きながらつい、
「ああしたら?」
とか、
「こうやってみたらどう?」
とか、
「お母さんなら〇〇するな!」
って言うのに心当たりがある方はぜひ、
聞くに徹してみてください。
子どもの温度が変わりますよ!
本当に!!
まとめ
あなたの解決策、
相手はもう考えたあと。
やるべきは、話を真剣にきく。
今日も読んでいただきありがとうございます。