今日の内容を一言でまとめると
発達障害の要素を全く持たない人がこの世にいるとは私には全く思えない。
なので、自分に合う手立てをいかに見つけるかが大切。
です。
発達障害を「白」か「黒」か、「ある」か「なし」かで捉えていると
辛いかもしれません。
発達障害はこういうイメージではなく
むしろ、これとか
これ
な感じ。
ほら。
果汁5%でも100%でも
どっちもオレンジジュースはオレンジジュースだし。
っていう感じです。
「じゃあ、どこから⁇」
っていうの、困りますよね?
お医者さんもやっぱりはっきりした診断基準がないと困るわけですよ。
なので、診断基準があるんですが
それもまあ、状況や社会の要請によって変化したりします。
例えば、診断基準に沿っていけば
ってことだってあるわけです。
もしかしたら、
「ぎりぎり足りないけどほとんど当てはまるから診断だそう」
ということもあるかもしれません。(ないかもしれません)
だから、私は診断されていないし、行く気もありませんが、
注意欠陥的な傾向があるので、
ボリュームは大きくは出てないけど全く無いわけではない
という風に捉えていて、
そのために注意欠陥障害の人のための手立てを知り
その中から自分に合うものを使うようにしています。
ていうか、
全然なくて無色透明な人なんか居ない!
というのが私の見解です。
さて、そう考えると
「発達障害の診断」をどう考えるか?
というのは、その人やその周りの人に委ねられている部分があります。
だって、診断に関わらずその人の「能力」や「特性」や「困っていること」、「得意なこと」は変わらないわけですから。
発達障害だから、この子は大変な子なんだ
というよりは
てことは、これが得意で、これが苦手なのか!!
苦手なことは、どんな方法があるかな。
という
といえると思います。
なので、診断が受験での措置や学校での合理的配慮を得るための手段になるような場合の他に
自分を知るため(子どもさんを知るため)の材料として
使うのがいいんじゃないかと私は考えています。
こちら、片づけ・家庭教師・ピアノ教師の宮丸しおり※さんのブログです。 ※2024年1月現在もライフオーガナイザーかどうかは確認できていません
当事者の母でもあるしおりさんの捉え方、手立ての立て方はとても参考になります。
まとめ
診断が出たら、ツイッターで検索してみたらいいと思います。
いろんな人がいろんな工夫をしています。
今日も読んでいただきありがとうございます。