9年前、この本を読みました。
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心理カウンセラー信田さよ子先生の本です。
多くの女性が、母親からの知らず知らずの呪縛に絡め取られていて、自分自身の心の声からほんの少し、目をそらして生きているんじゃないか、そう思いました。
私自身も、母にほめてもらいたい。
母に「いいね」って「がんばってるね」って言ってもらいたい。
そんな母からの承認を求めて、家族の調和を乱さないように気をつけて、生きてきたような気がしていました。
そして、その母自身も、祖母の言った何気ない一言で自分を縛って、それに背かないように用心しながら生きる。
しかも用心している自分にさえ気づかない。
そんなことに気づいた頃でした。
家族というのは絶妙なバランスの中で成り立っています。
それが、誰かの自立や誰かの変化で均衡が崩れたとき、問題として浮かび上がってくるのです。
その問題さえも、誰かのために存在しているのです。
さて、そんなことを思い出したのは、
こちらのドラマ「嫌われる勇気」の第3話でこんなシーンを見たからでした。
そう。
呪縛は善意からできている。
お母さん自身が、自分の人生をもうどうすることもできないものとして捉えていて、自分の出来なかった理想を娘に身代わりに生きさせているかぎり、その善意は呪縛でしかないんですね…。
「嫌われる勇気」第3話では、被害者の吉野先生は優等生の恵に対して、過去の自分にはできなかった人生をなぞらせました。
そして、母である美子も、同様に自分にできなかった人生を。
どちらも、自分の人生まだまだいくらでもなんとかできるのに、それをできないものとして生きてしまった。
というより恵をみることで、ずっとずっと過去の中で生きているんですね。
手塚治虫の火の鳥に出て来る八百比丘尼のように。
そして、娘である恵自身も
「結局はお母さんから離れる勇気がなかったんです。お母さんに反抗していたのもお母さんに認めて欲しかったから。」と
安堂蘭子に言われるのです。
そして、もう1つ。
まさに母と娘の共依存的な呪縛関係のドラマ。
NHKドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」
(冒頭にご紹介した信田さよ子先生が監修されています。)
これがね~、いい感じにホラーでぞわぞわしちゃうんですわ。
娘のデートの後をつける母(斉藤由貴)。
友達といるよりラクで楽しいお母さんとの関係。
それが、娘(波瑠)が恋をし、自立しようとすることで壊れていくんですね。
(まだ4話が終わったところです。ここからどうなっていくのか…)
そう。
親をうざいうざいと思っているあなた。
それこそが「今のままの自分を認めてもらいたい」という気持ちの現われです。
「本当の自分をわかってくれてない」と思うのも、自分の思っている通りに親をコントロールしようとしているんですね。
そして、そのうざさからあれやこれや言い訳をして、はっきりと決別しようとしない、
そのうざさの中にあるメリットというぬるま湯につかって、抜け出す努力も抜け出す勇気も持たない。
そんな自分に気づくことでしょう。
結局は甘えているんです。
そして、寂しいということ。
母も娘も一人になるのが怖いから、寂しいから、一蓮托生のようにお互いに切り離せないんです。
ちょっと面倒なことをがまんすれば、ラクでぬるま湯な状況に少しでも長く居られるから。
でも、お母さんもあなたも、本当は自由なんです。
自分の人生を生きていいんです。
でも、自分の人生を生きるということは、自分で自分に責任を取るということです。
その勇気と覚悟がなければいつまでもうざいままです。
自分で自分に責任を取ると、誰も責められません。
その代わり、何ものにも代えがたい喜びや幸せをあなただけで作り出すことができます。
お母さんを悲しませたくない 確かにその通りです。
でも、お母さんの悲しみは、お母さんが選んだものです。
世の中には、悲観的になって悲しみや恨みつらみを言うのが趣味な人もいるんですよ。
そういう人に対しては、何をやったとしても悲しむことは避けられなかったりするのです。
自分でコントロールできるものに目を向けましょう。
あなたが気を使ったり、わざと困らせたり、具合が悪くなったりすることで保っている家族のバランスは、本当に必要なものなのでしょうか?
安穏と波風立たないことが、本当にそんなにいいことなのでしょうか?
大学のときの臨床心理学の先生がカウンセリングの講義で言っていた言葉をときどき思い出します。
「問題のない家族なんてないですよ」
(授業中に描いた先生の似顔絵 そう。昔からそういう子なんです。私。)
あなたはあなたの人生を歩むんだと、勇気と覚悟を持ったとき、きっと自分らしい幸せが見えてくるはずです。
「自立」と「愛している」は両立できるんですよ。
あなたが親の意にそぐわない生き方をしたとしても、親を愛していることには変わりないし、
親から自立をしたとしても、それこそが愛だったりするのです。
そして、うざさの中にも何にも代えがたい愛があったりするのです。
自分と他者を区別することは、愛情がないこととは違うのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。