『家族の中に嫌いな人がいる』
これって結構ストレスです。
でも、レアなこと(珍しいこと)ではないです。
家族との折り合いが悪いとき、私はいつも大学の臨床心理学の先生の言葉を思い出します。
「問題のない家族なんてあるんだろうか…」
(かなりそっくりに描けています)
社会学上の家族の定義は「互いに家族だと思っていること」
かなりあやふやな感じです。
互いに家族だと思っているから、家族というイメージに引っ張られて
「こんなんじゃいけない!!家族ってもっとあったかくてすっばらしぃものなんだから、もっと大事にしようよ。できるよ!家族なんだから!」
となるのかもしれません。
どうも、カホコとは話が噛み合わない…。
家族といえども、人の集まり。
合わない人もいるし、合う人もいる。
当たり前。
それでいい。
上手くいかないこと、
イヤなこと、
嫌いな人、
それらは悲しいことだけれど、あってはならないことではない。
愛せない自分を責めなくていい。
ああ、自分は今受け入れられないんだな
ここまででいい。
それ以上、考えを打ち消したり、そう考える自分を評価したり、良い悪いを判断したりする必要はないんです。
抱いてはいけない考えも感情もありません。
ああ、いまそんな風に思っているんだなぁ。
で、頭の中で川に流すイメージを持ってみてください。
ここから、私自身のつぶやきです。
ここ数年、私はずっと父のことで葛藤を抱えてきました。
まさに、家族に嫌いな人がいる、そのものでした。
一時は本当に嫌で辛くて悲しくて、自分の力ではどうすることもできないことが悔しくて悔しくて、そのことに関して絶望感でいっぱいでした。
なんとかもがき続けてきたことも全て意味がなかったこと。
むしろ、自分が良かれと思って介入してきたことが、事態を維持し続けて来ていたと気づきました。
それが、去年。
子どもの頃から大好きだった父。
朗らかで優しくて思春期の私をいつも支え続けてくれました。
でもいつしか、その優しさの奥に抑圧されている絶望に触れることに嫌悪を感じるようになりました。
好きなのに、好きでいられない。
とても疎ましい。
何をするのをみてもイライラして、許せない。
顔も見たくない。
父を嫌えば嫌うほど、自分が嫌いになる。
そんな思いでした。
それが、先日数年ぶりにふっと自然に父に向けて笑えました。
私がやってきたことは、自分の感情を否定しないこと。
今、そう思っているんだな、で、全部受け流すこと。
あえて、なんとかしようとするのを辞めました。
話は必要最低限。
自分の態度に落ち込むことはしょっちゅうでしたが、
期待しているからこそ、好きだからこそ、今の父を認めたくないんだな。
悲しい気持ちを、怒りに換えてしか表現できない状況なんだな。
とそのまま自分を観察してきました。
目を見て、自然に笑えた自分を感じたとき、本当にほっとしました。
まだ、少しぎこちないですけど、それは多分、私自身が「ダメな家族でいる」ということを認めた瞬間だったんじゃないかと思いました。
まとめ
家族に嫌いな人がいると、毎日がとても憂鬱です。
でも、家族に嫌いな人がいるのは全然珍しいことじゃない。
自分の中にわきあがる考えや感情を否定しないでもいいんです。
そう考えることよりも、それを否定すること、「考えちゃいけない」と抑圧すること、そんな自分を批判すること、が自分へのストレスを高めます。
今日も読んでいただきありがとうございます。