「好き」の先にあるもの…
昨日、電車に乗ってふと見たら
CHAMS、チャムス、ちゃむす…
このあと、よく考えたら飴ちゃん入れてるポーチもね、チャムスでしたよ。
でね、思わずフェイスブックに
って投稿したりして。
で、私にとってCHAMSは好きか嫌いかって言うと、
まあ、好き
好き(上)
と
好き(中)
と
好き(下)
があるとしたら
好き(中)
に入る感じ。
実際、夫が
今は使わん
って言ったCHAMSのリュックを使っていて、
以前から勝手に夫の持ち物で使いやすそうなものを勝手に使っていたらCHAMSだらけになったっていう、それだけです。
でも、好きなのは好き。
私は、昔っから
すっごく好き
大好き
っていうものがあまりなくて、
それで
私ってなんにもないんじゃあ…
って悩んだこともあったけれど、
今は
慣れれば何でも好きになれる、間口の広い人間だ
と自分のことを捉えていますから、さほど辛くはありません。
でも、時々
あ~、もっと何かにアツくなってみたい
と密かに思ったりもしますが。
自分の好きの傾向がわかったのはここ10年くらいで
私は
慣れたものはだいたい好きになる
という特性に気づいてから、とっても楽になりました。
アツくなってみたいという願望は持っていますが、
なにかにアツくならなくちゃという焦りは今の所ありません。
「好きを仕事に」
とか、
「好きを追求していたら自然と成功につながる」
とか、
子どもでも
「好きなことだけやればいい」
っていう風潮の強い最近のこの感じがいろんな人を焦らせていないかな~。
と思ったり。
私はやり始めたらなかなか止まれないものが残っているだけだから
全然突き詰めている人間ではないのですが、
頑張ってる、
貫いている、
と言われるとちょっと座りが悪いかんじ。
多くの「天職」を見つけた人にインタビューした結果
好きを突き詰めた人よりも
流れでやることになったことをやっているうちに、そこに「自分なりの意味を付けた人」の方が多いという話も聞いたことがあって
(今手元にソースがないですが、調べときます。)
何をやるかってあんまり関係ないのかも、とも思っています。
今、自分の目の前にあるものをとりあえず一生懸命やってみる。
一時的にフィーバーしたようにハマっても夢なら醒めるし、
合えば続くでしょうし。
でも、もしやりたいけど我慢してるなら
やってみるのも手かもしれません。
やるもやらないも自由ですが、
「でも…」
「どうせ…」
が出るならやらずにうだうだしている自分が好きなんでしょう。
すべての人が前向きに成長していく必要はないし、
幸せにならない選択も自由もあるし、
なりたい人を応援したいな、っては思うけど、
こっちがいいよ絶対に
とは、
私はよぅ言わんな、と思うんです。
だから、まあなんとかしたければ、
本当にやりたいことを見つけよう
というよりも、
とりあえず目の前のことに集中してみるのがいいんじゃないでしょうかね。
子どもにもそう言ってやりたいです。
まとめ
好きなことなんて別になくてもいいし、あるにこしたことはないかもしれないけど、
なかったからってだめじゃない。
進路も人生も、とりあえず目の前のことに集中するのが一番幸福感は得られるけれど、それを選ばない人もいる。
でも、だからといって不幸になると決まったわけじゃない。
今日も読んでいただきありがとうございます。