かこさとしの世界展 - 特別展 - [ひろしま美術館]
今、ひろしま美術館で開催中の「かこさとしの世界」展に行ってきました。
大好きなかこさとしさんの本は、息子にも何度も何度も読み聞かせしました。
私が好きなのは「だるまちゃんとかみなりちゃん」です。
かみなりちゃんの住む、ちょっと近未来感のある町が好きです。
さて、この「かこさとしの世界」展の展示の中に、かこさとしさんの生前のインタビューをまとめたドキュメントがありました。
20分のドキュメントを見ているとかこさとしさんが、一つの旗を持って紹介していました。
その旗というのはかこさんが若いときからライフワークとして活動してきたセツルメント運動の中の一つ
「こども会」の旗でした。
こんな感じの旗です。(星の色は赤じゃなかったかもしれない…)
この旗を持ってかこさんが
この星はね、「自分の星を光らせろよ」とこういうわけです。
とお話されていました。
私はハッとしました。
私にはない発想だったからです。
私が「きらぼし学舎」と名付けたのは
「誰もが持っている自分の中にあるキラッと輝く星を見つけるお手伝いがしたい」
という思いからです。
でも、かこさんのお話を聞いて、自分が恥ずかしくなりました。
お手伝いだなんてとんでもない。
「自分で光らせろよ」
その言葉には、もうすでに持っているそれを光らせることができると信じている。
そういうかこさんの子どもへの眼差しを感じたからでした。
かたや私はどうか。
子どもたちを信じ切っているか?
いや、もちろん信じているけど、
そこには「ケアされる人」と「ケアする人」という役割を当てはめる構図があるんじゃないかと思いました。
人って結構役割によって自分を決めるところがあります。
お母さんだからお母さんぽくふるまうし、
女性だから女性らしく、
年上だったら年上らしく、
そんな感じで、役割に自分を当てはめてそれに期待される行動をとってしまう、そういうところがあります。
そうしたら、私は自分の姿勢を少し改めないといけないな、と思いました。
私はあくまでも黒子で、ちょっと背中を押す、なにやっているのか興味を持って眺める、そのくらいの役割でいいはずなのに、
いつの間にか子どもの手をとってずんずんと歩こうとしているんじゃないか。
通りすがりの人で良いはずなのに、もっと存在感を出そうとしているんじゃないか。
そんな風に反省しました。
子どもには子どもの計画と子どもの思いと、そして自由があります。
それを一緒になって喜べる、そんな自分でありたいと思いました。
お家でもきっと大人にも子どもにもそれぞれいろんな役割があります。
親がいつも「世話をする」という役割ばかりやろうとすると
子どもはいつも「世話をされる」という役割をすることになります。
今一度、子どもに課せられている役割、親自身につけられている役割をちょっと外すことはできないか、と考えてみるのもいいかもしれません。
「いつも注意をされる子」という役割は
「いつも注意をする人」がいて初めて成立するからです。
あなたはどんな役割を持っていますか?
その役割は本当にやりたいものですか??
あ、からすのパンやさんTシャツがあまりにかわいかったので買いました!
まとめ
子どもが「いつも〇〇」であるなら、それを支える役割を親が持っている可能性があります。
一度、その役割を降りてみませんか?
今日も読んでいただきありがとうございます。