最近、息子が朝カフェオレを作ってくれるようになりました。
土日はご飯を炊いてくれます。
これは、3年生から。
それで、気づいたのが
ああ、こぼさなくなってきたな。
ということ。
人の身体は大きな筋肉からだんだん扱えるようになっていき、
その後小さな筋肉をコントロールできるようになると
モンテッソーリは言っています。
なので、小さいころはどうしても
細かい動きが苦手。
ケチャップを出しすぎたり
力を入れすぎて壊れたり
はみ出してしまったり…。
それは、自分の筋肉のコントロールに慣れていないから。
そういうことを習得するにはやはり時間がかかるんですね。
うちの子もそうやって、カフェオレを作ったり、
ご飯を炊いたりするのに
ああ、こぼさなくなったな
と感じられるまで
かかっています。
子どもに
気をつけなさい!
ちゃんとよく見なさい!
注意してゆっくり!
と言ってもうまくできない理由はここにあります。
まだ自分の身体の扱いに慣れていない
これが理由。
例えば、
これ
を使って生卵を割らずに持ち上げてください
とあなたが言われたらどうしますか⁇
まあ、多分うまくいかないですよね。
それでもこうやって熟練のワザでできる人もいるわけですから、
人間として不可能ではない、
ということなんでしょう。
(もちろん、ここまでの域に誰でも達成できるわけではないですね。
ケチャップかけたり、
お米を研ぐのにはそこまでの熟練はいらないですし。)
それと同じように
意識して注意を向けても
身体がいまいち言うことをきかないというか
身体の扱いに慣れていないのが
子どもです。
「軍手を2枚はめているくらいの難しさ」
とも言われますね。
なので、子どもが小さくて
「やるの!!」
とか言って
自我は芽生えているんだけど
全然うまくできないとき
見ている大人は
「だって、どうせできんでしょ!!」
とかってなったり、
時間がなくてイライラしたりするんですが、
子どもが自分自身の身体の扱いになれるために
自分でやって、その加減を知っていく
ということが何度も何度も
それこそ年単位で必要ということです。
だって、10歳でやっと
ああ、上手になってきたな
っていうくらいですから。
いや、でも、
そんなんわかっとるけど、時間もないし
こっちも忙しいし、無理だわ。
そんなんやったらいいのはわかっとるけど
そんな余裕ないし
イライラしてしまう自分が辛いわ
ってことありますよね。
そういうときは、
最後だけ自分でやらせる。
余裕があれば
最初と最後をやらせる。
自分でやってできた!!
が感じられるには
最後の記憶が一番残るんです。
(まだワーキングメモリが未熟だし)
なので、例えば「ボタンをはめる」だったら、
こうやってやるんよ~。
よ~く見てね。
と、ちょっとゆっくり上から順番にやってあげて、
最後だけ
はい。やってごらん。
と渡す。
そしたら、子どもの自主性とか自尊心とか自己肯定感とかそこなわずに
かつ、親もあまりイライラせずにすみます。
小学生でも同じです。
(って言いつつ、私はそんな優しくなく、
お米こぼしたら
「ちょっと全部拾って!」
とか言ってここまで来たんですが…)
やってみせて、
最後をやらせる。
正解をいつも、常に、ずっとやり続けるのは不可能です。
でも、現代は情報社会で
みんな子育てのだいたいの正解は知ってる。
知ってるけど、知ってるからこそ、
こうしたらいいんだろうな、ってわかってるのにできない!
が辛く、重くなるんじゃないかな。
まとめ
子育ての正解を全部やらない!!
できるところだけやる!!
今日も読んでいただきありがとうございます。