忘れもしない。
あれは私が小学2年生のとき、
母に学校の宿題を見せて
答えが合っているかチェックしてもらっていました。
で、ある日宿題を持っていって
丸〇つけをしたら
何問か間違っていて
家に帰って急いで母に言ったんですね。
お母さん
間違っとったよ
そしたら、
母が言ったんですよ。
きぃちゃん。
例え大人でもその人が正しいとは限らんのんよ。
自分で見て、聞いて、考えんとだめなんよ。
って。
うん…。
間違いではないと、今でも思う。
だけど、
小2に言うことばか⁈
とも思わなくもない…。
まあ、私も息子に同じようなことを言ってないこともないからな…(笑)。
大人だって間違う
大人だって迷う
大人だって悩む
相手が言ってきたことを
全部受け止めて責任持ってやらなくてもいい。
自分で選んでもいい。
断ることもできる。
そういうことを子どもに伝えておく。
残念かもしれないけど、子どもに伝えておいた方がいいのかもって思います。
不登校になる子の中に
先生がちゃんとしてくれなかった。
先生が間違えたのに謝ってくれなかった。
っていう、先生が正しくないことにこだわりがあるというか
許せないというか
そういうことがあるんですね。
(それは、特性的に「正義」を強く感じていることもあります。)
別に先生のこと好きにならなくてもいいんだけど
先生をちょっと絶対的な存在に思いすぎるとちょっとしんどいかな、
と思ったりします。
大人だって間違う
大人だって迷う
大人だって悩む
そういうところを知ってるのと
全然知らないのでは、
受け止め方も違ってくるから。
そして、これは私の願望ですが
自分の頭で考えてほしいから。
それと同時に
大人も自分の間違いを認めて謝る
大人も迷ったとき悩んだときそのことを相談してみる
大人も自分の課題に向き合って努力していること・しようとしていることを表現してみる
そういう当たり前のこと
子どもに期待していることを
子どもにやらせるんじゃなくて
まず、大人がやってみる。
そういうことを真面目に素直にやるのが大切なんじゃないかな。
なんか、大人のほうがよっぽどかずるいこといっぱいあって、
そういうの子どもにはわかっているんじゃないかな、って。
子どもに
素直であってほしい。
その方が得するんだよ!!!
って言うなら、大人がまずそれをやってるところを見せる方が説得力あるしね。
それに、
「弱みを見せる」と
あ、この人は弱みを見せれる強い人なんだな。
と相手を認識できる。
なんか、大人になると引っ込みがつかない的なことあって
自分の本当はどうでもいいプライドとかを大切にしちゃって
相手への誠実さを忘れちゃうことあるんだけど
子どもがそれやったら、絶対に
正直になれ!
素直になれ!
それじゃあ、だめだ!!
ちゃんと言った方が、結果的に自分のためになる!!
って言うじゃないですか。
子どもが人を見る目を養えるように手伝ってあげることと同時に
それはこういうことだよ、って
ロールモデルになる。
そういう大人が増えていると私は思っています。
従来の慣習に囚われない、
知識を使いつつ自分で考える大人が増えていると私は思います。
世界平和はまず自分から。
自分の生き方、見つめてみるとどのように生きたいかが見えてくるかもしれません。
まとめ
子どもは大人の「言ったこと」ではなくて、「やっていること」を真似する。
どんな大人になって欲しいか=今の自分
になっているといいな、と思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。