子どもの頃、母がホントに恐くて、いとこたちからも、近所の幼なじみからも
「きいちゃんのお母さんがうちのお母さんじゃなくてよかったー!」と言われるほどでした。
息子にそんな話をすると
「そお!?ばあちゃまは、ただのおばあさんよ。」(こら。言い方(笑))
って言うので、
今思えば母も「お母さん」を頑張ってやって空回りしてたんだろうなー、って思います。
で、それがなかったら私は今の私じゃないし、世の中の「母より優しい人の優しさ」に喜ぶことも無かったし、悩んだり哀しんだ分心が深くなることもなかったなぁ、とは思います。
それにね、アルバム見ると笑ってるんです。
ずっと怒ってた訳ではないの。
まあ、怒ってるところは撮らないからね(笑)
当たり前なんだけど。
気づかなかったり、私の求めてるものでは無かったけど、母は母なりに私を愛そうとしてたかな、と思います。
でも、もうちょい分かりやすかったらありがたかったな、と思います。
私は単純な人間だから、母の愛に気づくのに随分遠回りしてしまったから。
なので、息子に対しては
「遠回りせず、そのまま伝えてみよう!」
と思って、正しい知識を入れること、練習すること、その上で自分に合ったものを取捨選択することを努力してます。
「してもらってないから、できない。」
だったら、きっと息子は私に対して「怖い」と思ってると思います。
でも、そうではありません。(あ、ブチギレて怖いときはあるんですけどね…)
もちろん、いつでも学んだ通りにできるわけではありません。
やはり練習が必要です。
で、情報をインプットし続けることも大切です。
その上で、
そう思って、また勉強→試す→練習→良いものを残す、の繰り返しです。
私は親はちゃんとしてなくていいって思ってます。
親も悩んだり迷ったりして、当たり前だし、そういう姿を見せると、子どもが大人になった時「大人なのにこんなことをしてしまうなんて…」って無駄な悩みを抱えなくて済むし、今の子どものの悩みを抱えることも受け入れられると思うからです。
あ、でも、「ごめんね」は必要です。
ちゃんとした手本となる親!!を意識しすぎると、謝れないんじゃないかなぁ?
何が言いたいかと言うと、たぶん自分に正直で素直なお母さんであっても、子どもは嫌いになったりしないよ、ってことです。
等身大に悩んだり、喜んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、そういうのでいい、ってことです。
いいお母さんになるんじゃなくて、子どもの目線に合わせられるお母さんであればいいかなと思います。
愛情の需要と供給が合わないことはあるとは思いますが、それは愛がないのとは違います。
大丈夫。
これを読んでるってことは、そこそこいい感じだと思いますよ。
ってことを【お母さんのための心理学講座】で喋ってます。
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今日も読んでいただきありがとうございます。