毎日学校に行くのが当たり前。
そんな風に思っていたら、子どもが
「なんかしんどいけぇ、学校休みたい」と言い出した。
「あらあら、なんか変なものでも食べたかな。それとも何かいやなことでもあったかな」
そんな風に思って休ませたら、
翌日も
「なんか気分悪い。学校行きたくない」と言い出す。
なんとなく
「このままでいいんかな。大丈夫かな。もしかして…」
と思いつつも、2・3日休めば行き始めるかも、と期待して数日過ごしてみるも変化なし。
それどころか
「勉強遅れとるけぇ行きにくい」
「友達に聞かれるのがイヤじゃけぇ行きにくい」
と言いだす始末。
「うちの子もしかして不登校になりかけてる?一体どうしたらいいの~」
な~んてことは、非常によくある話です。
そんな時、気をつけて欲しいのは
これです。
表面的には、確かに学校に行くか行かないかの問題なんですが、
そこにはもしかしたらコミュニケーションの課題があるのかも知れないですし、感じ方が敏感になっているのかも知れません。
他にも、自分と他の人との区別がつきにくく誰かの感情に触れるのが怖いのかもしれません。
もしかしたら、行く意味を見失ってしまったのかもしれませんし、
自分という人格を守るには行かないという選択しかないと感じているのかもしれません。
「本当」のことや「本当」の原因にこだわるのは、私は無意味だと考えています。
なぜなら「本当」というのは人が変われば変わるし、時間が変われば変わるものだからです。
「休みたい」が先にあって、都合のいい理由として「友達との不仲」があるのかも知れません。
根堀り葉掘り聞けばきくほど、それらしい理由がどんどん出てきます。
親の方が「理由が聞きたい」とこだわるのは、自分が無能だと感じたくないから、なのかもしれません。
なので、こだわるべきは「行くか行かないか」や「本当の原因」ではないのです。
その子は、自分の思いをことばにして言えないから、行動でそれを示しているのです。
だからこそ、もしその子が自分の口で自分のことばで、自分自身について何か話したとしたら、結論を出すのではなく、そのまま受け流す。
良い悪いを決めるのではなく、ああしなさい、こうしなさいと指示をするのでもなく
「うんうん。そう思うんだね」
これだけです。
でも、これ、めちゃくちゃ難しいんです。
だって、親だから。
心配だから。
それを感じているからこそ、子どもはことばにできないのかもしれません。
「私はお母さんの思っている通りの子どもになれてない。だから、ますます思ったことを正直には言えない」
そう思っているのかもしれません。
お母さんが「うんうん。」と聞いたからといって
「お母さん、ありがとう。明日から行くね」とはならないのが現状です。
それでも「うんうん。」と聞くしかないんです。
だって、他の聞き方したって行かないんだから。
でも、お母さんの言いたいこともありますよね。
そんなときはこんな風に聞いてみてください。
こうしなさい、ああしなさい、ではなく、
「お母さん悩んでるんだよね」と素直に正直に伝えて見ます。
で、
「自分のことだから、自分で決めたらいいんだけど、心配なことだし、良くなっていると感じられないから伝えるね」
「お母さんは、行きづらくなってても、行ったらわかることもあるかもしれないし、そんなに悩むほどのことでもないかもしれないから、背中を押してみたらいいんじゃないかと思うんだけど、どう?」
こんな感じです。
聞きたいことは聞く、言いたいことは言う、でいいんです。
ただ、答える答えないは相手に強要できません。
子どもにだって黙秘権、あるんですよ。
もし、話をしてくれたら、自分のことを言葉にして話してくれたことがすごいことなんです。
自分のことを言葉で表現できないからこその苦しみです。
まずはそこをしっかりと認めてあげて、
「言ってくれたからわかったよ。」
「話してくれてありがとう」と伝えてみてください。
今日も読んでいただきありがとうございます。