今日のポイント
学校って本当は楽しいところ!
先日、お友達に誘われて「みんなの学校」という映画を見てきました。
「みんなの学校」とは不登校ゼロの学校。発達障がいの子どもも一緒に学ぶ学校を目指して、実践している、大阪の公立「大空小学校」での
1年間をドキュメンタリー映画にしたものです。
何度も何度も涙が出ました。
そこには、子どもも先生も、一生懸命自分に向き合って生きて、そしてお互いの成長を喜ぶ姿がありました。
自分自身を何度も何度も振り返りました。
本当に出来る限りのことをやっているか?
本当に一人ひとりを大切にしているか?
本当にやらんといけんことを見逃してないか?
・・・。
映画の中で校長先生が
「本人は何も変わってないんだけど周りの見方が変わったんです。そしたら、脱走がぴたっとおさまりました」と言っていました。
そう。この言葉。
ここに、私たちが見えてないものがあるんじゃないかと思うんです。
現在の発達障がいの子どもたちの現状を「個人の責任」にし過ぎではないかと思うんです。
周りの見方というのは以前、ここにも書きました。
この、「個人が周りを困らせるという見方」
「IP:患者としてみなされた人」を作る考え方に偏りすぎている。
そんな風に感じます。
それって、結局のところ、迷惑かける人と迷惑かけられる人、という構図になってないかなと思うんです。
私が小学3年生だったか4年生だったか、もしかしたら1年生の時だったかもしれません。
同じクラスにYちゃんという子がいました。
Yちゃんはなんだかうまくしゃべれないし、つばを時々ぺっと吐いちゃうし、時々わ~っと叫んだりして、とにかく他の友達とはちょっと違っていました。
そんなYちゃんが一緒に出来るように、先生は言いました。
「みんなでYちゃんを助けてあげましょう」と。
私は「Yちゃん、こっちよ」とか「Yちゃん、それダメなんよ」とか「Yちゃん、一緒にやろう」とか言って、Yちゃんと関わることが度々ありました。
ある日Yちゃんがぺっとつばを吐いたのを見て「汚いけぇ、よらんで!」と言ってしまいました。
先生にとっても叱られました。
でも、私は釈然としない思いでした。
今思えば、私はYちゃんを「お世話している」そんな気持ちだったんです。
だからYちゃんは、いつもお手伝いが必要な子で、私はそれを助けてあげる子、そんな風に思っていたんだろうとそう思います。
結局、Yちゃんをクラスメイトとして見てなかったんですね…。
Yちゃんだから助けてあげるんじゃなく、困っている人は誰でも助ける、自分のできることを考える。
こっちが必要だったんです。
「みんなの学校」を観てまず思ったのは、クラスメイトがお世話してないというところです。
もちろん先生から「声かけてあげて」とか言われたりしてますが、
でも「かわいそうだから」とか「できないから」とかそういう理由じゃなくて
「困っているから」ただそれだけです。
そう。
助けが必要かどうかは困っているかどうかなんですよね!
困っていれば障がいのあるなし関係ない!
きっとどの子も自分の困っていることについて、大人と一緒に考えたり、やり直したり、できているんだと思います。
(映画だけではわからないけど)
どの子もまだまだ発展途上だし、大人だってみんな失敗するし
でもこの学校ではやり直しができる。
きっと今みんな必死になって情報を集めたり、人の顔色うかがったり、周りに好かれるような自分を演出したりしてるのって、やり直しできる確信がないから。
やり直しできるってわかっていれば、もう少し安心して失敗できる。
そう思います。
映画では全員校長先生に呼ばれて、校長室でやり直しの仕方を考えて、自分の口で言って、もう一度教室や地域でトライできます。
障がいあるなし関係ありません。
みんな校長先生に
「○○したのはダメ!」
「△△したのはえらい!」
「どうしたいの?!」
「どうしたらいいの⁈」
同じように聞かれて自分の言葉で答えます。
そして「もっかいやっておいで」と送り出されます。
だから、全員が1つになって
「同じクラスの仲間のために自分の力を最大限まで伸ばす。」
「昨日の自分より一歩でも成長する」
「困っているクラスメイトにできることを考えてやってみる」
こういうことができるんです。
教師と生徒があんなに真剣に、全国学力調査に取り組む姿を初めて見ました。
私は障がいがあるからしょうがない、なんて思いません。
「今、その時期じゃないから待とう」とは思います。
その子が自分の力を伸ばすために、言わんといけんことはちゃんと言う。
考えられるように、良いときも悪いときもそばにいて、見て、声をかける。
それが、どんな子どもにも必要な、大人の態度だとあらためて感じました。
だから、必要以上に助けすぎるのは、結局のところ差別しているのと同じです!
必要以上に手出し、口出しする親は、自分の子どもを周りの子どもと同じにしたいと言いながら、差別しているのです。
私は学校が好きです。
多くの子どもに、学校でたくさんの自分をみつけてほしいと思っています。
自分の力を自分で伸ばして、全体の力がそれでアップしていく。
そんな学校がもっともっと増えるために、私は一人ひとりを元気にして、自信をつける手伝いをして、社会に貢献できる子どもを増やしていきたい、とそう思いました。
今日も読んでいただきありがとうございます。