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ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが、英語・国語・日本史の3科目で青山学院大学を受験することを決意したそうです。
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淳さんは「学歴社会ではなく学習歴が大切だ!」 ということを以前から言っているようです。
でも、企業に「学歴で人を雇うのはおかしい」といったときに、「お前、大学出てねぇじゃん」と言われてぐうの音もでなかったそうです。
今でも、学歴じゃなくて、学習歴。何を学んだか、が大事だと思っている、と語っています。
しかし、それは大学にチャレンジもしてない、通ってもいない自分じゃなく大学を出た人しか言えないんだな、という思いがあるようです。
また、
大学に対するコンプレックスはない。
でも、大学に行っている人と同じくらいの知識を身に着けたいとか、43歳になった今すげー勉強したいという意欲はある、と語っています。
そうなんですよね。
私も大人になってからのほうが「学びたい」という思いは強いです。
看護学校でも、高卒すぐの生徒さんより、
20代・30代・40代・50代の方の学習意欲には本当に驚かされ、とても刺激をもらっています。
今年はなんと60代の方もいらっしゃるんですよ~
おそらく、
ということがあるんじゃないかと推測します。
#1では動機として、
大学へのコンプレックスとあこがれから、
淳さんは長年の「やりたいこと」だった「大学にいくこと」を目指すことになったとまとめていました。
コンプレックスとは、そもそもいろいろな感情が混じり合ったものということなので、
なので、普段一般的に言われているのはコンプレックスというより劣等感という意味合いが強かったり、
「得られるはずだったものを得られなかった」という感じを持っている気がしています。
つまり、『みんなの中で私だけ違っているかもしれない』という「集団の中の孤立への恐怖」による劣等感や
『あのとき、もっとああしてれば今よりもっと違ったかも』という羨望に似た感情です。
全く希望も望みもなければ、私たちは全く気に病みません。
『なんで、私はアラブで石油を掘り当てられなかったんだろう…』なんて落ち込んだりしませんよね?
手に入れられる可能性があったにも関わらず、自分の努力が足りなくて手に入らなかった。
そんな思いがあると、それは自分に対して足りない感じを引き起こすんだなぁ、と思います。
それは、決して悪いことではないと思います。
私自身、「臨床心理士の受験資格を得られる大学院に行けばよかったのに。」と未だに思い続けています。
だから、学ぶし
だから、それ、もしくはそれに近いことを現実にできないかと模索し続けます。
臨床心理士じゃないからできる、わかることを探っていったほうがいいのかも…と迷うこともあります。
未だに、大学院を行きなおそうと画策してます。
このあたりは、劣等感と羨望も混じっているかもしれないですね。
なんにせよ、劣等感だろうが、モテたいだろうが、かっこよくなりたいだろうが、
なんでもいいのでやってみたいことをやってみる。
そこが大事だし、チャレンジし続ける大人というのは、子どもたちにとっても良い影響があるんじゃないかと思います。
中学校でよく生徒から授業中にこんな質問が出ていました。
「先生の夢ってなんなん?」
大人も子どもも関係なく
自分の中の「好奇心の芽」を少しずつ育ていくことができたらな、と思います。
そして、その「好奇心の芽」を夢と呼ぶんじゃないかな、と思いました。
私達大人は子どもたちに諦めることばかり教えていないでしょうか?
なのに、「本当にやりたいことには粘り強くあるべきだ」と大人に都合のいい粘り強さばかり求めていないでしょうか。
小さなことに対するチャレンジをして、「悔しかった」「もっとこうしたかった」「やってみてよかった」があるからこそ、
大きなことへの「やってみたい」「もっとしてみたい」「諦めたくない」が生まれると思います。
だから、失敗は必要なんですよね。
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淳さんも、きっとここまでの社会経験があったからこそ、今、大学受験なんじゃないでしょうか。
楽しみですね。
まとめ
大人だからこそ、「好奇心の芽」を大切にしていく姿を子どもたちに見せていこう。
そして、子どもの「好奇心の芽」と失敗に寛容になろう。
今日も読んでいただきありがとうございます。