今朝、たまたま母と一緒に出かけることになりました。
たまたま方向が同じで、たまたま同じ時間に出ました。
雪の中をバス停まで歩き(家から徒歩1分)
バスに乗って、私の方が先に降りました。
運賃を払い
「私だったら子どもに手を振ってもらったら嬉しいな」そう思って振り返って母を見たけど、母は違うところを見ていて、目が合うことなく私はバスを降りました。
その時私は胸にこみ上げてくる思いに気づきました。
「ああ、私はお母さんにずっとずっと私のことを見ていてもらいたかったんだな」
でも私と母はそれはもう小さい頃から、タイミングが合わないのか気が合わないのかわかりませんが、
こういう私を見て欲しいな、と思うときに目が合わないのです。
それを私はずっと「母は私に対して愛情が薄いんだ」と思って生きていました。
でも
でも
そうじゃなくて、目が合わないことと愛がないことはイコールではない、という
ただそれだけなんだなぁ、としみじみ思ったのです。
目は合わないけど1日もご飯を作ってくれなかったことはありません。
家に帰れば必ず「おかえり」と言ってくれます。
自分のイメージする「欲しい」に合わないことと、相手が自分のことを「想っていない」というのはやはり違うのです。
自分に起こった「目が合わなかった」という事実に、
「私はお母さんに認めてもらってない」という想像をくっつけることはとてもカンタンだけれども、一番やるとしんどいことです。
自分を不幸にしたい人はどうぞ試してみてください。
多くの人は事実と想像をくっつけます。
『事実+想像』
そして自分の想像に合う事実ばかりを見つけます。
「私が行くお店は必ず潰れちゃうのよね」
昔、そう話してくれた人がいました。
でも、イオンは潰れてないし、コンビニだって、駅だって、銀行にだって行ってるんです。
自分をネガティブな方向に特別扱いしたい気持ちが、それに合致する事実ばかりを見つけて、自分の想像をさらに加速させるのです。
【事実+想像=幸せが遠のいていく】
まず、事実と想像を分けましょう。
それが、人に愛されていないと感じる自分を変える一歩です。
今日も読んでいただきありがとうございます。