子どもには夢を持ってもらいたい!
やりたいことがあったら他の大変なことも頑張れるはず!!
好きなことのためには努力を惜しまないものだ!
そんな風に思っていませんか??
ええ。
気持ちはわかります。
大人になると、毎日が作業ゲー(ゲームでひたすら同じ作業を繰り返し続けること)な気がして…。
「夢をもつ」とか「自分のやりたいこと」とか考えることも、そんな余裕もなくて。
毎日目の前のことを片付けるのでいっぱいいっぱい。
そんな時に子どもが自分の「やりたいこと」や「夢」に向かって邁進していたら…。
どんなに心が慰められることでしょう。
でもね、子どもが夢を持つってことと
そのために犠牲をいとわないことと
そして、その犠牲が親であるあなたにとって好ましいものかどうかということとは
全く、本当に全く、何の関係もないのです。
夢があってもそんなにがむしゃらじゃない子もいる。
夢があってがむしゃらにやりたくても、その夢のために頑張ることが、親のあなたの「やってほしいこと」とはかけ離れていることだってあるのです。
私の話をすると、私は中学3年生のとき、ある日突然
「カウンセラーになりたい!」
「よし、カウンセラーになろう!」
と思い立ったんです。
でも、何の努力もしませんでした。
高校の先生には
「カウンセラーを目指すなら河合隼雄の本くらい読め」って勧められましたが、興味がなくて読みませんでした。
だから、何もかも中途半端なままここまでやってきた、という気持ちでいっぱいです。
それでも私は、「大人が喜ぶ子ども像」をなんとなくわかっていたので、
『こういう風に書けば喜ぶんだろうな…』
という文の書き方や言葉の使い方、振る舞い方を公共の場(学校とかバイト先)ではやっていたので、
若い頃は可愛がられることが多く、
ま、そのときのご縁で今でも中学時代の先生とやり取りをさせてもらったりしているんですが…。
でも、学校で教えるようになって生徒から
「先生の夢はなんなん?」
と素直なのか、単に困らせたいのかわかりませんがダイレクトに聞かれることが度々あり、私は考え方を変えました。
大人がその殺伐とした自分の人生に彩りを求める手段として子どもたちに「夢ある姿」を求めてはいけないな…。
と。
子どもたちに夢や希望をもたせるのは私達大人の義務だと私は思っています。
そう思うのは悪いことではないのかもしれませんが、
ただ単に『安心したい』とか『希望を持ちたい』とかそんな理由なんだったら、ない方がましだと思うのです。
自分が持てないものを子どもに持つように強制するなんて、さもしいと思うのです。
子どもの夢をさもしい大人の「娯楽」にしてはいけません。
子どもは、大人に対して「未来の自分」を重ねます。
『あんなふうに生きていきたいな』
そう思える人生の先輩を「ロールモデル」と言います。
それは、必ずしも親とは限りません。
近所のお兄さんということもあるし、歴史上の人物や有名人のこともあります。
そして、一人とも限りません。
年齢や目的に応じて変わったりもします。
すべての大人は子どもたちにとって
「夢を与える存在」
立派な人になる必要は無いんです。
そういう小さな一つ一つが平和につながる道となります。
私は、賢い生き方をする人を増やしたいんじゃないんです。
平和を創る人を増やしたいんです。
そして、その平和は自分から始まるんです。
キライな人や、気に食わないことで、大切なこころを満たす代わりに、自分の大切なものを自分の中心に置いてほしいんです。
子どもに夢を持ってもらいたかったら、まずあなたが心に小さな夢を持つことです。
夢は大きくなくて良いんです。
「家族で笑って過ごす」とか「○○の料理を食べる」とか小さなことで良いんです。
その小さな夢をどうやって叶えるか?
今日何ができるか?
考えてみてください。
それだけで、あなたは一歩夢に近づいているんです。
まとめ
子どもに夢を持ってもらいたかったら、まず自分が夢を持て!
話はそれからだ!!